教師が生徒や保護者から封筒を受け取るのは珍しいことではありません。高校時代から毎年、私はクラスの代表として先生方のお宅を訪問し、11月20日のベトナム教師の日にはお祝いと封筒の贈呈をしていました。
フエの大学に入学した頃、私は授業担当でもありましたが、毎年11月20日になると、学科の先生方は封筒を一切受け取りませんでした。ただ、花束という小さな贈り物しか受け取っていませんでした。
卒業後、南西部のある省で働いていました。11月20日のベトナムの教師の日には、封筒文化があまり見られないと感じていました。妻も私も教師だからです。妻は都会の学校で、私は大都市の学校で教えています。
11月20日のベトナム教師の日を記念して教師に新鮮な花を贈りました
毎年、たくさんのプラスチックの花が届きます。時には、本物の花やノート、シャンプーボトルなどをくれる生徒もいます。私たちはこれを教師という職業の恵みだと考えています。夫と私は、生徒にお金や贅沢な贈り物を期待することは決してありません。
サプライズギフト
11月20日、ベトナムの教師の日の前夜、私は昨年のことを思い出しました。その時、ある女子生徒が私に生花の花束をくれて、先生に手紙を書いたと言っていました。私は、その手紙には生徒からのちょっとした願い事や感謝の言葉が書かれているだろうと単純に思っていました。
さらに、たくさんの卒業生が訪ねてきて、彼らとおしゃべりしたり写真を撮ったりして夢中になりました。家に帰ると、花束と一緒に封筒に入った手紙と100万ドンが入っていて驚きました。学生から封筒にお金が入ったものを受け取ったのは初めてでした。
この9年生の女の子は、文学の成績がクラスで一番優秀で、学校の優秀生徒評価チームにも所属しています。最近のテストではすべて優秀な点数を取り、クラスで最高点だったので、彼女が私を喜ばせようとする必要はありません。
でも、きっとあなたは両親にそのお金を頼んだのでしょう。そのお金は両親の苦労と汗の結晶です。私はあなたの先生です。政府から給料をもらって、文学を教えています。知識だけでなく、人生、日々の振る舞いについても教えているのです。
いかなる理由があろうとも、生徒や保護者から金銭を受け取ることは良心の呵責に感じます。翌日、生徒に返金しました。
ベトナムの教師の日の喜び
11月20日を穏やかに迎えよう
妻と私が南西部の省で働いているのですが、11月20日と旧正月に教師が校長先生や副校長先生に贈り物をするのは非常に稀です。11月20日に教師が校長先生の家を訪問することはほとんどありません。
保護者会も先生に贈り物をすることはなく、学校側も11月20日に行われる行事の費用として保護者に寄付を要請することはありません。生徒が教科担当の先生に贈り物をすることもほとんどなく、通常は担任の先生に花束や贈り物を渡すだけです。
教科の先生は生徒に花やノート、ペンなどを贈るなど、生徒にとってとても大切な存在であるに違いありません。これがここの人々の文化に独特の美しさを生み出しています。
20年近く働いてきましたが、11月20日はとても穏やかに祝ってきました。生徒たちから花束や贈り物をもらうことに、私は何の抵抗も感じませんでした。ですから、9年生の女子生徒が花束と100万ドンの入った封筒をくれたという話には、本当に驚きました。
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