両親の愛は美しく、最後の息をひきとるまで互いを思いやる姿だと思います。そんな風に生きることこそ、生きる価値のある人生だと思います。
イラスト:ダン・ホン・クアン
末の叔父の結婚式を終えた後、父は重病にかかりました。当時、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が急速に拡大しており、病院での防疫は特に厳重でした。
パンデミックの最中、父は重病にかかりました。どこに行くにもPCR検査の証明書が必要で、列に並ばなければならず、検体を採取する時は苦痛で、費用も非常に高額でした。いくつもの検問所を通過し、病院に着いた時には、父の付き添いを許された家族はたった一人だけで、病棟に陣取っていました。私は父を病院に連れて行き、手術の手続きをしました。
ハノイへ出発する前に、父は糖尿病の母のために玄米を一袋買ってきてくれました。家で何か仕事がある時は、父が帰ってきてから一緒にやるように母に言っていました。
手術の前夜、父は病室の皆と笑いながら楽しそうに話していました。そして早朝6時、父の手術の時間が迫っていました。お互いに何かを伝える暇もなく、父と私は急いで暖かい服を着て、医者の後を追いかけました。それが、父のはっきりとした言葉を聞いた最後の時でした。
しばらく入院した後、父はようやく家に帰ることができました。父は寝たきりで、話すこともできませんでした。寝返りを打つだけでも疲れ果て、母は昼夜を問わず父の世話をしました。
母が「お父さんをここへ連れて帰ってきなさい。どんなに辛くても、私がお父さんの面倒を見るから」と言った日のことを、今でも覚えています。母は愛情深い言葉をあまり口にしない人だと分かっていますが、心の奥底では、母以上に優しい人はそう多くありません。夫と子供たちのために一生懸命働き、何度も涙を流しました。
そして、その犠牲は多くのベトナム人女性にとってもう一つの「当然の義務」なのだろうかと疑問に思いました。実際に家族の中でそれを体験し、実際に経験することで初めて、私はその真髄を理解し、感謝することができました。
母は疲れ果て、父の隣で寝息を立てながら、父の眠りを見守っている。でも、父と母への私の愛は尽きることがない。まるで輪廻転生のように繰り返される人生の中で、幸せでゆったりとした日々がどれだけあるだろうか?でも、母の愛、父への愛、私への愛、嫁への愛、孫たちへの愛があれば、どんな困難にもめげずに、母は喜びを感じているはずだ。人のために生きることは、気高く美しい生き方だ、そう思いませんか、母さん。
風が冷たく、夜はまだバンさんの寒さが少し残っています。今夜は風が弱まって、お父さんがぐっすり眠れて、お母さんが寝返りを打たなくてもよくなりますように。毎晩、そんな小さな願いを抱き続けるばかりです…
その晩、ベッドの横に座っていた私と弟に、父が突然、はっきりとした声ではなかったもののこう言ったのを今でもはっきりと覚えています。「お前たち二人で母さんの面倒を見ろ」。その言葉は、今でも忘れられないほど悲しいものでした。数日後、父は亡くなりました。
両親の愛は美しく、最後の息をひきとるまで互いを思いやる姿だと思います。そんな風に生きることこそ、生きる価値のある人生だと思います。
時が経つにつれ、すべての痛みは徐々に和らぎ、やがて燃えるような憧れに取って代わられるでしょう。
ある日の午後、通りを急いで歩いていると、突然涼しい風を感じました。立ち止まって、ふと気が付きました。あら、もう秋だったんですね。
すると突然、雨が降り始めた。滝のように雨が降り注いだ。夜がますます冷たく、薄れていくのを感じた。人生は春夏秋冬の四季のようなものだと思った。長くもあり、また短くもあった。永遠に苦しみの中に浸り続けるのだろうと思っていたが、やがて苦しみは徐々に和らいでいき、幸福感がゆっくりと湧き上がってきた。
幼少期から大人になるまで、人生の歩みの中でいつも父がいて、父がいなくて寂しかった。先日、幼い娘が「おばあちゃん、おじいちゃんは亡くなった後も私を見ていてくれる?」と尋ねました。
母は微笑んで優しく言いました。「そうよ、我が子よ!天国のおじいちゃんはいつもあなたの一挙手一投足を見守っているわ。おじいちゃんを喜ばせるために、いい子にしてね!」
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出典: https://tuoitre.vn/chieu-thu-nho-bo-20241027100747204.htm
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