BHG - 読者の皆様は、 ハザン新聞の最終号を手にされています。1991年のハザン省再編以来、数々の節目を迎えた34年間の歩みに終止符を打ったのです。新たな名前で新たな旅が始まりますが、すべての幹部と記者の心の中には、ハザン新聞という新聞への愛と誇りが今も息づいています。
ハザン新聞の記者(左端)が国境のソンヴィ村(メオヴァック)を取材中。 |
過去34年間、ハザン新聞は党の新聞として、たゆまぬ努力と献身的な奉仕の道を歩み、読者の心に深く刻まれてきました。交通の便が悪く、山岳地帯で国境を接する省であるにもかかわらず、ハザン新聞の記者たちは30年以上にわたり、隅々まで、村落にまで足跡を刻み、祖国の辺境の暮らしのあらゆるリズムを記録してきました。草の根レベルの地を訪ね、辺境の村々にまで足を運び、人々の思いや願いを汲み取り、共に食し、共に暮らす中で、記者たちは、生命の息吹を帯びた、興味深く貴重な情報を掘り起こした記事、記録、そして鮮烈な回想といった「知恵の結晶」を生み出し、読者を魅了し、ハザン新聞ブランドの構築に貢献してきました。
私は幸運にも、フイ・トアン、ティエン・タン、キム・ティエン、ビエン・ルアン、トゥー・フオンといった、新聞界の「黄金世代」の兄弟姉妹たちと共に働くことができました。先輩たちの情熱に浸ることで、執筆への情熱が育まれ、燃え上がるのを感じました。魅力的な見出しの書き方、人物へのインタビュー時の質問の仕方、意図を明確に伝える写真の撮り方、優れた記事を書くための重要なポイントの選び方など、彼らから学びました。
バクメキャンプで働くハザン電子新聞の記者たち。 |
こうして私は徐々にこの職業に「成長」し、より注意深く観察し、より注意深く耳を傾け、人々の考え、願い、そして意見を反映させながら、困難な問題に果敢に飛び込むことを学びました。凍えるような真冬の高地で丸一週間「待ち伏せ」するために基地へ通ったこと、嵐や洪水が発生し、人命や財産に被害が出た際に慌ててニュース記事を書いたこと、長年のテーマに取り組み、一文一語を丁寧に編集して記事を洗練させた夜更かし…これらすべてが私を徐々に成熟させてくれました。そして、ジャーナリズムとハザン新聞社への愛も深まっていきました。
長年にわたる活動を通して、各世代の幹部と記者は皆、ハザン新聞という共通の故郷の思い出を大切にしています。そこで私たちは共に働き、献身し、職業への信念と愛によって結ばれた集団を築き上げました。読者に届けられる新聞の一つ一つの裏には、記者やジャーナリスト一人ひとりの情熱、責任感、献身、そして編集者や技術者たちの静かな貢献が結晶しています。ハザン新聞という共通の故郷は、一人ひとりの心を揺るぎないものにし、勇気を育んできました。そして今日、私たちは皆、省委員会の新聞を読者に近づけるために、それぞれの小さな努力を惜しみなく捧げ、歴史の時代における革命的ジャーナリズムの役割と輝かしい使命を立派に果たしたという誇りを共有しています。
マレー村(ドンヴァン)で働くハザン新聞の記者たち。 |
今、ハザン新聞は新たな段階へと踏み出し、国と共に新時代を迎えようとしています。新聞名は変わりましたが、スタッフと記者一人ひとりは、これまでと変わらぬ責任感と職業への情熱を持ち、独自のアイデンティティを継承し、広めていくことを信じています。新時代の現代ジャーナリズムの流れに乗れるためには、変化は不可欠です。しかし、この歴史的な瞬間を前に、一人ひとりの心の中には、言葉では言い表せない不安と期待が渦巻いています。
年月が経つにつれ、多くの変化と新しい名前が生まれるでしょう。しかし、すべての幹部と記者の心の中には、かつてハザン新聞と呼ばれていた新聞への誇りが常にあります。それは、何世代にもわたって「職業の情熱」を育んできた共通の故郷です。そして、祖国最北端の人々、大地のために、というジャーナリズムの精神は、新たな道を歩むすべての人々に常に寄り添い続けるでしょう。
記事と写真:NGUYEN PHUONG
出典: https://baohagiang.vn/van-hoa/202506/vang-mai-tinh-yeu-bao-ha-giang-2fc3b69/
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