午後遅く、国道9号線の国立烈士墓地にためらいがちに立ち、雄大な荒野の奥深くに広がる深緑のチュオンソン山脈を見上げながら、風が奏でる歌に耳を傾ける。「田舎娘は祖国を救うために旅立つ/彼女の緑の髪は満月のよう/彼女の手は岩を砕き道を切り開く/苦難は彼女を一歩退かせ、前に進ませる」…墓地の午後の空間は、聖地にまとわりつくプルメリアの花の香りに包まれているようだ。今日、祖国の平和のために命を落とした、偉大な祖国の子供たちを、悔い、思い、そして誇りに思う。
イラスト:N.DUY
医師であり殉教者でもあるダン・トゥイ・チャムの日記を読み、1969年7月14日の日記に、彼女が母親にこう綴った理由が分かりました。「…明日、勝利の歌を歌いながら、私はここにいないでしょう。祖国に生涯を捧げたことを誇りに思います。もちろん、私を含め、皆が血を流して取り戻した平和で幸せな生活を、もう送れないという苦い思いもあります。しかし、それは大したことではありません。私のように、一日たりとも幸せを味わうことなく倒れた何百万人もの人々がいるのですから、後悔することは何もありません!」
ダン・トゥイ・チャムは平和を切望する人物でした。彼女は国家の平和と独立を取り戻すために南へ戦いに行きました。
さらに具体的には、日記を記した人物が戦争に参加し、戦争の恐ろしい記憶が生涯にわたって彼を悩ませていたため、35年にわたる日記の軌跡は、平和への燃えるような願いも表している。
記憶を巡る風は時とともに永遠に吹き続け、戦争の痛みと喪失を乗り越えることで、私たちは平和の尊さを改めて実感します。私は何度もクアンチ城塞を訪れましたが、その度に、激戦の日々の中で城塞を守るために殉教したレ・ビン・チュン氏とレ・ヴァン・フイン氏が家族に宛てた二通の手紙を読むたびに、涙が止まりませんでした。
7月の日々、城塞の麓の草はまだ青々としている。おそらく、人生は目に見えない価値によって育まれているのだろう。だからこそ、今日タックハン川のほとりで自分の姿を見つめる人々の心は涙で満たされ、平和への希望を託した花灯籠の夜、川辺を照らすろうそくを通して感謝の気持ちを伝えているのだ。
タックハン川だけでなく、才能豊かな人々の故郷であるこの地を流れる川はどれも、奇跡の物語を刻んでいます。ここで特に言及したいのは、クアヴィエットに流れるヒューザン川です。ダイヴィエットの領土拡大に身を捧げた少女、フイエン・トラン王女の足跡が刻まれています。そして、この川岸で生まれ、沐浴し、育った少女たちの、悲しくも切ない恋物語が刻まれています。
美しい人生はやがて塵と化し、残るのは切ない愛の物語だけ。ヒエンルオン橋が架かるベンハイ川。長く広い川、数本の櫂だけが、何十年にもわたる別れの痛みを背負って流れていく。
過去、現在、そして未来において、ヒエンルオン橋とベンハイ川は、ベトナム国民が世界中の人類に送る平和への愛のメッセージを運び、統一への願望の記念碑として常に高くそびえ立つだろうと私は信じています。
そして、今日の勝利の歌には、かつて熱血漢だった若者たちの誇りが今も響き渡っている。「私たちは人生を後悔することなく生きてきた/(20代を後悔しないわけにはいかない)/しかし、誰もが20代を後悔するなら、祖国に何が残るというのか?/草は鋭く、温かいだろう、愛しい人よ…」(タン・タオ)。
「そうです!今日の午後も、九路殉教者墓地からヒュー川を抜け、ヒエンルオン橋のたもとまで吹き渡る風は、今も絶え間なく吹き、過去の記憶の風が、平和への願いを燃え上がらせようと駆け巡っています。
アン・カーン
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