1.あなたは「まだ熟していない」秋の写真を「色づき始めた葉」というキャプションとともに送ってきました。そして、さらにこう説明しました。「アメリカの北西部と北東部では、葉はほとんどが赤く、南部ではほとんどが黄色です。私が住んでいる地域には、山、平野、谷、湖があります。秋になると、葉は寒さに応じて色を変えます。まず高い山が冷え込み、次に山の麓、谷、そして最後に街が冷え込みます。もし今高い山が色づき始めたら、11月末には谷や街も秋の色に染まるでしょう。その頃には、高い山の秋は10月末から色褪せているでしょう。」
数年前、友人の友人の友人から「先導」を受けた友人がいました。私たちはViberでチャットをしながら、あれこれ話しました。ある秋の終わり、友人は美しい景色を見るために「一人で」車で通勤していた日々を後悔し、美しい秋の夜を一緒に過ごしたいとメッセージを送ってきました。「いいかな?」と。
ベトナムで夕食を終えたばかりの今、あなたは仕事場にいる。だから頷く。ここ何週間も、あなたが仕事に行く時間になると、私はパソコンの前に座り、電話で生放送するあなたの様子を見ていた。毎日、道の両側には黄色や赤の落ち葉がいっぱい。あなたが通る道、どこで左折し右折するか、心得ている。そして最後にはいつもこう言う。「仕事場に着いたら、電気を消すわ。紅葉はまだ綺麗よ。明日も一緒に行こう」。分かち合うことの幸せ、分かち合えるものがあることが、本当に幸せだと、私は理解している。
地球の反対側にある黄金色と赤に染まる秋を、生のナレーションとともに鮮やかに見られるから幸せなのはもちろんのこと、 デジタル時代に生きているからこそ、海を隔てながらも、まるで通勤途中の友人と車の中で様々な話をしながら、過ぎ去る秋を眺めているかのように、身近に感じられるから幸せなのも、この幸せなのだと思う。時間も空間も地理的な距離も、すべてに隔たりがないように感じる…
2.この季節のサイゴンでは、太陽が眩しいほど明るい日もあります。穏やかな秋の午後でも、ロマンチックな黄葉が楽しめる秋はどこにあるでしょうか?
ある晩、私は住人たちと集まり、夜遅くまで食事をしたり、お酒を飲んだり、おしゃべりをしたりしました。アパートが近かったので、皆で歩いて帰ることにしました。夜を長くしようと、遠回りして帰ることにしました。こんな穏やかな夜空の下で、こんな風に夜遅くまで散歩できる機会は滅多にないからです。そして驚いたことに、私たちが通った道は静かで、どの家も眠っていて、黄色い灯りが道沿いの木々に影を落とし、信じられないほど穏やかな黄色に染まっていました。友人の一人が突然「秋の夜」と叫び、優しく歌いました。 「夜の庭に月が輝く。花は悲しげな瞳のように立ち止まる。私の心は揺さぶられる。花の言葉に耳を傾ける。花びらは風に揺れて悲しげに舞う。愛の香りは優しく酔わせる。風が吹く…」
秋の夜の空間に、澄んだ歌声に包まれたグループ全員が凍りついたようでした。皆、互いに声をかけ合うこともなく、夜空と(黄色いライトのせいで)黄色い紅葉の列を眺めていました。まるで長い間会っていなかったかのように、奇妙でありながら懐かしい光景でした。
「木の葉や枝の間から、月の光が優しく広がり、魂を憧れに誘う…」
あなたの声は甲高く、少しはにかんだようだった。 「夜は静かで悲しい。秋の音が囁くようだ。木々の並木の中で、夢の奥深くに…」 。長い時間が経ち、ダン・ザ・フォンの『秋の夜』の最後の歌詞をあなたが歌った時、私たちはまるで夢から覚めたかのようだった。 「月は徐々に沈み、草木は静かになる。星明かりの中、冬は悲しげに。まるで私の目を見つめているかのように、冷たく。私の魂を揺さぶり、そして消えていく」。
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出典: https://thanhnien.vn/nhan-dam-dem-thu-185241207162035413.htm
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