数日前までは、タロイモはまだ真っ赤な花を咲かせていました。ここ数日は雨が涼しく、葉も緑に染まっています。その本来の、澄み切った緑色に、思わず駆けつけてしまいました。しばらくして、バーチャルな写真をたくさん撮りました。でも、この緑色は本物で、空気を浄化し、ストレスを軽減してくれるんです。
家の隣の土地は、まるで呪われた土地のように、20年近く放置されていました。人が足を踏み入れていない場所には、必ず自然の計画があります。エレファントヤムはまさにプランBです。もし人が伐採したり、竜巻に吹き飛ばされたりしなければ、エレファントヤムの代わりに、我が家はズオンの木の森に守られるでしょう。ズオンの木は成長が早く、たった1年で家の3階のバルコニーの高さまで伸び、実りの季節には鳥たちがさえずります。ハート型の葉の間には、鮮やかな赤やオレンジの果実が実ります。まさに成長が早く、生命力の強い木であり、都会の空気を救おうという切実な思いに合致しています。
かつて、隣家の包丁を逃れて、あの高さまで育った木がありました。しかし、根元が壁の近くにあったため、根が張り付く場所がなく、竜巻があっという間に倒してしまいました。地主はレンガを買って壁を再建しなければならず、それ以来、人の目の高さまで伸びた若い木は容赦なく伐採されました。ところが、象耳軍団が見事にその木を占領していました。この土地は池を埋め立てて造成されたため、土壌には栄養分が全くありませんでした。しかし時折、地中深くからわずかに残る水分を吸い込むだけで、象耳は力強く成長したのです。
母は邪魔になる枝や葉を時々切っていたからです。また、象の耳が下に植えた野菜を焦がさないようにするため、というのも理由の一つでした。米屋が商品を包むための葉っぱを頼んだことも何度かありました。
母は昔から野菜やハーブ、つまり有用な植物を好んでいました。しかし、酸素生成という点では、野菜はオオバコにはかなわないと思っています。私がオオバコに急にこだわるようになったのも、この基本的な働きが一因でしょう。私の生存本能が、オオバコの大きな葉が都市生活者の肺にとって今やなくてはならない存在であることを教えてくれているのです。私の家がある路地は最近、交通渋滞が始まっています。そして、毎日午後になると、3階のバルコニーから排気ガスの臭いが立ち上ってきます…。私たちが感じる自然の美しさは、しばしば生命が繁栄するために必要な調和を、心の奥底で感じさせてくれるのだと、私は理解しています。
他の草木が生い茂った生息地では、こんなにたくさんのゾウのオタマジャクシに気づくことはなかったでしょう。しかし、ここ、分譲住宅の列に挟まれた、建設廃材だらけの更地には、ゾウのオタマジャクシがまるで謎めいた騎士のように、まるで私の家の隣に集まってきているようでした。この「神のような存在」に驚かされるはずです。しかし、そうではありません。なぜなら、自然は常に魔法のようで、人々は無意識のうちにそれを当たり前のこととして捉えているからです。
母は時々、「庭」(その土地は私たちのものではないのですが、母はそう呼んでいます)で採った野菜を少しだけ使ってスープを作り、とても誇らしく感じています。「きれいな野菜だから、全部食べなさい」と子供や孫たちに勧めるのです。
人々があの土地をそのままにしておくことをただ願うばかりです。もしそこもコンクリートで覆われてしまったら、どんなに素晴らしい母なる自然も、私たちのような無垢で無情な子供たちと心を通わせる術を何も持っていなくなってしまうでしょう。
出典: https://thanhnien.vn/nhan-dam-rung-cuc-phuong-ben-nha-185250705191401349.htm
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