私たちの世代は、何十年も教育に携わってきた世代です。学生時代から成長し、教壇に立って教える教師となりました。だからこそ、11月20日のベトナム教師の日が来るたびに、私たちは様々な感情や思いを抱くのは避けられません…
ベトナムの教師の日で私たちがまず思い出すのは、「テト先生」、つまり幼稚園の頃から大学の講義室まで、私たちを子どもの頃から教えてくれた先生たちです。
11月20日のベトナム教師の日に、生徒たちが教師に送った素敵な作品
写真:トラン・ゴック・トゥアン
「教師になるには教師を尊敬しなさい」
ベトナムの民話には、 「師を敬えば師となる」という、非常に理にかなった格言があります。次世代に尊敬されたいのであれば、少なくとも師自身がその記憶と尊敬の模範とならなければなりません。しかし残念ながら、時の塵は、ミュージシャンのヴー・ホアンの歌「チョークの塵」に出てくる「師の髪に落ちるチョークの塵」よりも、はるかに残酷に年齢を蝕んでいきます。
かつての先生方は、今なお存命か、あるいはこの世を去っています。生計を立てるために、彼らは様々な場所を転々としました。中には、教師としての給料だけでは家族を養えなくなり、転職した人もいます。かつての先生方に関する情報は散在しており、現代の教師である私たちが先生方に「恩返し」できる状況にあるのは困難です。
私たちが学生だった頃の「教師の日」は、今とは大きく異なっていました。1986年の改革期前後、国の経済は依然として厳しい状況でした。11月20日のベトナム教師の日には、先生方への「贈り物」は、手作りのカードに書かれた素朴で素朴な挨拶、先生や学校についての感動的な歌、そしてクラス全員から爆竹のように鳴り響く熱狂的な拍手、そして壁新聞に貼られた先生への心からの思いを綴った手書きの詩や作文などでした。
中学 2 年生の年、壁新聞に載せてもらうために、かなり長い詩を書いたのを覚えています。その詩には、 「高く高い山脈 / 深く深い海 / 互いの長所を比べ合う / 私の愛する先生たちは…」という数行が含まれていました。
タイタン高等学校(ホーチミン市)の11年生が、11月20日のベトナム教師の日を祝うためにリサイクル製品を作っています。
写真:トラン・ゴック・トゥアン
シンプル、素朴でありながら温かい師弟関係が必要
今の学生は私たちの世代の学生よりもはるかに優秀です。しかし、教師と生徒の愛情の素朴さ、謙虚さ、そして温かさは、昔の学生ほど今の学生には見出せません。テクノロジーは人間の感情という「領域の一部」を侵食してしまいました。無邪気な手書きの願い事が書かれたカードは徐々に減ってきています。その代わりに、あらかじめ印刷されたカード、アニメーション画像、スマートフォンにデフォルトで用意されている願い事が、学生たちの心を「代弁」するようになりました。
約1ヶ月前、10月20日のベトナム国際女性デーを記念して、あるFacebookユーザーが考えさせられる出来事をシェアしているのを見ました。このFacebookユーザーはこう書いています。「今日、授業中に、うちの子の先生がクラスの生徒たちに、もうすぐ10月20日が来ると伝えました。」中学校の先生のこの発言がきっかけとなり、多くのコメントが寄せられました。先生はプレゼントをもらうために生徒たちに「優しく思い出させた」という趣旨のようです。
これは教師に対する誤った見方であり、教師への共感の欠如です。教師の義務と責任は、生徒を教育することであり、生徒は教師への尊敬の念を持ち、教師の教えを心に留め、自分自身もその教えを心に留めることです。
したがって、社会は前向きな思考と純粋で正しい行動を持ち、ベトナムの教師の日の意味を「歪め」ないようにする必要があると思います。そうして初めて、ベトナム国民の勤勉さと教師への尊敬の伝統をしっかりと守ることができるのです。
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出典: https://thanhnien.vn/tam-su-cua-nguoi-thay-mong-dung-meo-mo-ngay-nha-giao-185241118110751607.htm
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