校内鼓は、サルスベリの片隅で眠りについた。薄紫やピンク色の、遅咲きのサルスベリがいくつか咲き、若い実が房をいっぱいにつけていた。ふと、古木のホウオウボクに、おそらく昨年の夏の送別会で誰かが刻んだであろう名前の跡がまだ残っているのを目にすると、思い出が一気に甦ってきた。愛しい卒業アルバムの緑の線、7月は思い出でいっぱいだった。7月の試験シーズンが終わったばかりで、喜びも悲しみも、不安も将来の計画も、子どもたちは初めて母と故郷を離れ、大学の講堂へと足を踏み入れた。
7月が思い出される。収穫期が終わったばかりの頃、村の道では至る所で稲が干されていた。黄色い藁の山が積み上がり、子どもたちは午後中ずっと呼び合いながらかくれんぼをしていた。そして、村は再び田植えの季節を迎え、賑わっていた。父と母の後について田んぼへ行き、種を蒔いた。昼食は魚やカニで、素朴でありながら美味しく、愛情に満ちていた。
村人たちは手足に泥だらけになっても、互いに愛し合い、思いやりをもって接します。今日はタムおじさんの家で、明日はハイおばさんの家で、そして数日後には私の家で。こうして、雨季も晴れ季も、幾度となく共に過ごします。泥の匂いと汗の匂いが混ざり合い、農民特有の、素朴で親密な、勤勉な匂いが漂います。植え付けが終わるとちょうど新月が昇り、小川に下りて手足の汗を流すと、涼しい風がすべての苦労を吹き飛ばしてくれます。そして、雨が田んぼを潤し、稲はみるみるうちに青々と茂り、豊作を約束してくれます。
愛情深い両親は、太陽の下、雨の中、一生懸命働き、一生をかけて育ててくれました。そして、子どもたちが成長した時には、その恩返しをするにはまだ幼すぎ、両親は死期が迫っていたり、早くに亡くなっていたりします。そのことを思うたびに胸が痛み、あの辛い7月の月々を思うと、本当に申し訳なく思います。
7月の殉教者墓地にも花が咲き誇り、大義のために犠牲となった英雄たちを追悼する日を前に、感慨深い思いが溢れていた。祖国を赤く染めるために、どれほどの古代人の血が流されたことか。勝利の日を静かに待ち続けた母や妻たちの涙。国旗に包まれた骨片を抱えて帰還した者もいれば、戦場に体の一部を残し、松葉杖や車椅子で帰還した者もいた。

天候が変化するたびに、今もなお痛みに苦しむ人々がいます。祖国が長らく敵の脅威にさらされていないにもかかわらず、古傷や弾痕は今もくすぶり続けています。二度と帰還できない人々もいます。彼らの遺体は塹壕に、あるいは深い森の凍える寒さの中で横たわっているかもしれません。あるいは、全国各地の何千もの身元不明の墓に眠っているかもしれません。7月のこの日に、深い感謝の意を表し、祖国が誇りをもって「英雄」と呼ぶ人々の偉大な貢献を偲ぶために、線香に火を灯してください。
7月は慌ただしくもなく、騒々しくもなく、まるで昔の紙の舟が水面を悠々と漂うように、優しく流れていく。7月は、時のシンフォニーの中で、低音のように響く。7月が過ぎ、秋がやってくる。庭では、ひまわりが鮮やかな黄色に染まり、太陽の下で賑やかに咲き誇る。7月の訪れを耳にしながら、切なく、切なく…!
出典: https://www.sggp.org.vn/not-tram-thang-bay-post804547.html
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